肝は、安心

診察で、「ストレス要因は、プライベートでもう、無いね?仕事上も無くなっていくはずだから、心因性と分かったひくつきも直に収まってきて、薬も減らせるはず」

咄嗟に言葉が出てこない。無いって答えたけど。

ここだな。

私の辛さが全く伝わってない、根本のところ。

何もかもが、ストレスなんだ。

周りの音、人の近さ、隣の人の身動き、におい、テレビの中のうるささ、間違った日本語、仕事をしない店員、

お腹が減ること、少し食べ過ぎて苦しいこと、胃が苦しいこと、何を食べるか考えること、この先の予定、この先の未定、、

小学生の頃、イライラするから殴らせろと友達を殴り、ケガをさせた。イライラして教室で叫んでいた。

大人になってからも、自分の正義に合わない人をやりこめて、何人か泣かせた。

イライラし過ぎて仕事が手に付かないことが、しょっちゅうある。そういう時は一人カラオケに行ってきていいよと言われて、何度か行ったこともあった。

 

はっきりしたストレス要因がそんなにあった人生じゃない。

他の人にとってはささいなことも全てストレスに感じている、そこが問題なんだ。

よく医者から、はっきりしたストレス要因として上げられる離婚のことなんて、私にとってはそこまでストレスじゃなかった。大変ではあったけど。

それよりも、日常の、些末だけれど膨大なストレス要因の方が問題。

 

毎日毎日、5,60回ほどイライラすることがあって、そのうち数回は、殺意を覚えるほどのイライラ。

そうやって自分が感じているんだと、そしてそれは普通じゃないと気付き始めたのが、5年前くらい。

一つ一つ変な思考回路を直していって、だいぶ良くなってきたとは思うけど、

まだ、かなり短気で気にしいだと思う。

 

 

力を抜く、とか、リラックスする、とか、楽しいことを考える、とか。

いつもガチガチに力が入って、周囲に針を突き立てまくっている私に、

必要なのは分かっているけど、難しいこと。

それが、「安心」って言葉だと、なんか、うまくいくかも。

どうすれば安心できるか。

ずしんと響く。

そして安心がベースにないと、リラックスも元気も楽しいも、うまくできない、不安定なんじゃないかと、思う。

 

安心できる場所。

安心するために。

何をすると、安心できるか。

まずはそこから、意識していこう。

よしよし