間違いさがしからの気付き

私、間違いさがしが得意なんだ。
あまり自覚はなかったけど、姉にも母にも言われ。
確かに間違いさがしに関しては、結構見つけられる自信があるぞ、と。

「この中のどこかにあるのはわかってるんだぞ!」
「解決法が必ずあることはわかってるんだぞ!!」
そういうところから見つけるのは、ある程度の難易度のものなら得意。
「いやいやいや、解けるのわかってんだから」って頑張れる。
逆にレポートとか研究とか、ほんとダメ。
解がわからん。あるのかもわからん。
「何でもあり」というか「自分で解を設定する」ということなんだろうけどね。
そこが難しい。
時間をかければかける程完成度は上がるよね、という時、やっぱり100%120%を目指しちゃってる気がする。
与えられてる時間から、ある程度、どのくらいのレベルを求められてるかわかりそうだけど、
そこで、自己犠牲精神が働いちゃう。
わからない。
解を委ねられるのは苦手。

人生もそうなんだ。
常に「解」を委ねられてて。
仕事の成果、とかね。
妥協が下手くそだから。
綺麗な、自分の満足のいくものに仕上げたい、仕事を含めて全てのことに対してそう思ってる気がする。
そりゃしんどいわ。
書いてて気付いたな。


「私にはそもそも「生きる力」がないのかもしれん」という思いが根底にある。
「ここを乗り切る力は備わってないかもしれん」
取りかかる前から「自分の力」を疑ってる。
「疑う」のは得意。癖と言ってもいいかも。
あ、「信じられない」という方が正確かも。
他人も、自分も、他人の仕事も、恐らく自分の仕事も、
何もかもを、信じられない。

「いやいやあなたのその仕事、どっか粗があるんじゃないの?」って無意識のうちに常に思ってる。
それを、「自分の力」にも向けてるんだ。
なんか、肝がわかったな、私の生きづらさの。
自分の力を信じられてない、だから、周りの人に、「あなたは役に立ってるよ」と言ってもらわないと不安なんだ。
「私、役に立ててますかね。。」「私なんて産まれてこなければ良かったんだ」と言って、
「いやいやちゃんと役に立ってるよ!」「いやいや、産まれてこなければ良かったなんてことは決してないよ!!」そう言ってもらいたい。
そうじゃなきゃ、不安なんだ。
めんどくせー奴だな!!!!!


少しずつ、自分の癖なんかがわかってきて。
昨日の夜あんなにネガティブで久しぶりに一人で泣いて、
でもやっぱり寝たらかなり良くなって。
「自分は気分に波がある」それを無理して平坦にしようとするというより、
「落ちても絶対復活するゼ☆」ということを意識する方が得策かもな。
妹からもらった本に書いてあった気がする、
「自分のネガティブな感情自体を否定するのではなく、その感情は一旦受け止めた上で、その後の行動とは切り離すことが大切」
ほんとその通りだわーー


「間違いさがしを思い出して、壁にぶつかっても「いや、自分なら大丈夫!」と思えば良いね!!」
と母さんに言われたが、、
なんとなく違うんだ、
逆説や否定が癖とはいっても、
自分のことをポジティブに捉えるのは下手くそだと思う。
「絶対いつか見返してやる」という思いをバネにする、
社長がそうらしいんだよね、妹の好きだった(?)人もそうらしいね、
なんかそれがヒントになりそうな気がする。
正攻法で、「自分は絶対大丈夫!」と「思おうとする」のはなんかすんなりいかなさそうな気がする。


最近。
自分のこと、思考の癖なんかがわかってきて。
こう捉えたら私には良いんだろうな、
「人生」や「自分」という難解な問題、でもきっとそれはどこかに解がある、数学や物理の記述問題で。
(記述問題っていうんだっけ?答えを書くだけじゃなく、その計算過程や考え方も示さないと丸にならないやつ)
今やっとそれを、
「解がどこかにある問題」だと把握できて、
「どの数字を使ってこの問題を捉えればいいのか」を少しずつ判断していっている、
いわば「使うパズルのピースを一つずつ把握」していっている状態。
なんかそんな感じ。
これをこのまま根気よく続けていって、
この回路をこっちにカチッと切り替えればなんか良さそうね、ということも続けていって、
そしたらいつか、
最小の労力で、最速で最大限の力を発揮するマシーンが出来上がりそうな気がする。
数学の問題であったんだっけ、
このブラックボックスにこの数字を放り込むとこんなんが出てくる、
このブラックボックスの中にはどんな式が入ってますか、みたいな。
ブラックボックスが私。
私なりの、ブラックボックス内の式を組み立てていく。
それが私の人生な気がする。

そう考えたら面白いな。
それならなんか取り組んでいけそうな気がする。

なんかもうこの気付き、このブログが、結構な満足感。一仕事終えた感じ。笑