そういうゲームかもしれない

余裕がない時、音に敏感になる。
音だけじゃないのかな、雰囲気や迫力になのかな、
近くで大きな物音を立てて仕事されると、萎縮してしまう。恐い。

私に怒ってる訳じゃないって分かってても、勝手にダメージ受けちゃうんだよね。
気にしなくていいことを気にしないようにするのがすごい下手で。
意識を真逆に向けようとするからうまくいかないのかな。
そんな時は。
面白おかしくしちゃえば良い。

私の知らないうちに、
「彼女が立てる音の強弱で没入感を読んで、気付かれないように手元を盗み見てどんな作業をしているか当てる」
そういうゲームが始まったのかもしれない。
いやもっとシンプルに、彼女は、キータッチの音をどれだけ大きくできるかという大会に出る練習をしてるのかもしれない。
鼻息が荒くなるのは、鼻息で電気を起こす研究をしてるのかもしれない。
ちょいちょいタメ口が混ざるのは、タメ口と敬語を使い分ける環境にいなかったからかもしれない(これ普通だな)

歩きスマホのあの人は、ギリギリのところでサッと避けられる日本チャンピオンなのかもしれない。
歩きスマホってほんと理解できないけど、人からするとタバコを吸う私も信じられないのかもしれない。しかも紙タバコって、喫煙者からしても信じられないのかもしれない。

ああかもしれない
こうかもしれない


ヨシタケシンスケさんの「りんごかもしれない」を読んで、いたく感銘を受けた。
どう見てもりんごだけど、もしかしたら○○かもしれない、いや、○○かもしれないってことが、愛らしい絵で書いてある。
絵本だけど、大人にもものすごくタメになるなと思った。
教習所で習った、「~だろう」運転じゃなく「~かもしれない」運転をしよう、というのもそうだね。
勝手に決めつけてしまわないで、色んな可能性を考えながら動く。
物心ついた時から超天動説で、すぐに自分が思う~べきを色んなことに押しつけてしまう私に、すごく必要な考え方。

以前いた職場の上司が面白いひとり言を言っていて、「つらいことの多い仕事だからさ、少しでもメルヘンにしないと」と言っていた。
他の上司も「うっわ俺天才」と言いながら仕事していた。
そういう気持ち、大事。

明るく明るく。
できることから。