投影

そういや今年初日記か。
仕事で、みなさん年始の挨拶まわりしてて、いや、してないっぽい方たちもいて、んーこの人達がしてないのなら私もしない方が良いか、いやもしかしたらもうした後なのか、、?うーん、、と考えてる内にタイミングを逃してまわり損ねたのですが、
考えてみれば、ずっとそうかも、と気づき。
ここもそうだけど、年末の「締め」はやっても、年始はふわっと始めるな、と。
まぁ順番的に、今年もお世話になりました来年もどうぞよろしく、と言った直後にわざわざ、明けましておめでとうございます本年もどうぞよろしくと言う煩わしさもあるけど、
一年よく頑張ったと思うことはあっても、今年も一年頑張ろう、今年の抱負はこれだ!みたいな、目標や見通しを立てて動くというのが下手くそだからってのも関係あるだろうなーということ。
基本的に、先のことに希望が持てない。
年が明けたことをめでたいと思えない。
おせちやお餅がそんなに好きでないってこともあるけど、
あの、この先一年が明るいことを願う、みたいな空気感が苦手だったのもあるのかなと。
初詣の習慣も全然ないしね。これは家族がそうなんだけど。
元気になりたい、良くなりたいって思い始めてる今日この頃、
これからは徐々に、年始のおめでたさを感じたり、一年の無事を願ったり、自然と抱負を考えられたりするといいな。

ちょっと前までは、
あ"ーーー何かを発散したい!!!!と思って一人カラオケや一人飲みに行くことがよくあったけど、
この一ヶ月くらいは、何よりゆっくり休みたい、、と思うようになった。
ストレスを、発散が必要になるまで溜め込むのでなく、そもそもストレスが生まれないように思考回路を直していこうとしていて、その必要がなくなってきているというのと、
気分に突き動かされるのでなく、体の声を聞けるようになってきてる、ってのもあるのかなーと思う。
ま、単に年取って情熱みたいのがなくなってきてる可能性もあるけど。
いやでもこういう場合の熱は、不要というか、行き先使い方の間違った、本来出てこなくていい熱の気がするから、
きっと良いことだと思う。


カムカム。
今日の、週まとめまで観て。




るい編になって、急に、観るのが楽しみになった。
いきなりのミュージカル調には不安を覚えたけど、
濱田マリのコミカルさには救われるし、最初の登場日のクレジット「宇宙人 オダギリジョー」には手を叩いて笑った。
こないだのオダギリジョー作ドラマ、オリバーな犬、本人も「こんなの放送するなんて最近のNHKどうしちゃったの」なんてコメントしてたけど、いやほんとこれ放送して良いんだ…って驚かされてばかりの、超豪華で面白くて「これぞ娯楽だ!」みたいな作品で、オダギリジョーはどんだけNHKに気に入られてるんだと思ってたんだけど、
いやー
安子編の後半は、観るのすごいしんどかったんだけど、
ここへ来て、そういう狙いだったのか…?って。
るいの回想、昔はあんなに大好きだったお母さん、でも裏切られたように感じて拒絶して幸せだった思い出も全部蓋をして、
細切れの回想シーンでなんかそういうるいの思いをブワーッと感じた気がして、
なるほどなるほどそういうことか、、と涙しました。
るいは、すごく愛されて大事にされてきたのに(勝手に)屈折した思いを抱えて生きてきて、
対照的にジョーは、きっと彼も順風満帆な人生という訳でもなかったろうに(彼のこれまでの人生もこれから分かっていくのかね?楽しみ楽しみ)、るいのジメジメを吹き飛ばすような、カラッと明るい太陽のような人で、
うん
オダギリジョーもねー
初めて認識したのはたぶん天体観測の時、大学生役だった、あのドラマは本当に私の記憶に残っていて、大学生の青春ってこういうものなんだ、という憧れを抱かせたのだけど、
その時も、それからも、彼は大抵一癖あったり何か抱えてたり、そんな役を目にすることばかりだったから、
こんなカラッとした役はとても新鮮。

「ゴシップ」を観ていて思ったのだが、
少し前から感じていたけど、
ドラマや漫画の主人公って、周りからどう言われようと自分の信念を曲げずに突き進んでいって、その内周りもついてくるようになって、、という描き方が多いと思うんだけど、
んー私の記憶に残っているものにそういうのが多いってことかも?
とにかく私は、そういうのが人として正しいんだって、
空気を読むなんてバカらしい、「普通」「常識」なんてくそ食らえ、そういうことをそこから学んで身につけてきたように思う。
実際の生活では出来ないようなことをフィクションで描いているなんて思わずに。
同じものを見ても、そう思わない人も多いかもしれないけどね。
それで、思ったことは、言うべきだと思ったことは全部言って、
「ひろみの言うことはなんか聞けるんだよね」という言葉を、ただ、おーそうかそうかやっぱり言って良かったんだなと、ポジティブにとらえてた。
でももしかしたら大多数の人は、「お姉さんみたいになっちゃダメだよ」そんな風に見てたのかもしれない。

今もドラマ観たり世の中の人を見たりして、割と何でも「自分ごと」として考えてる。
あー私もこういうとこあるな、反面教師にしなきゃとか、この人にとってのあの人は私にとってのあの人みたいな感じだな、関係性の参考にしようとか、
ニュース見てあーこれ仕事に関わってくるなとか、
みんなそういうとこ多かれ少なかれあると思うんだけど、
私、もう何も考えたくないってぐらい疲れてる時でもそういうことばっか浮かんできちゃって、
ものっっっすごい疲れる。
…というのもあるけど、上手いことこの習性と付き合っていけば、私の目指す究極の形、死ぬまで成長し続けて、ずっとずっと自分の器を大きくしようとして、聖人君子のように万人に愛されて万人を愛すような人に近付いていく、
んーそれはすでにその途中にいるってことか…?
いや、もっと言えば目指すだけなら誰でもいつからでもできるな、、「目標」としてはぼんやりしすぎてんのかもな、、


休み休み思いつくことを書いたら、ほんとまとまりのない文章になった。。
ま、いつもか。
年末年始にたっぷり寝て、睡眠負債がかなり解消された気がしてたけど、
二日間寝不足が続いたら、
もう、頭ん中ぐっちゃぐちゃ。
せっかく穏やかに落ち着いてたのに。
でもこのぐっちゃぐちゃが何十年と続いてた気がするから、これが異常だと思うようになったのは、喜ぶべきことなのでしょう。
そんで、ねじれ筋のばしと気功を続けていけば、ちょっとの寝不足でもそんなに崩れずに過ごせるようになるんじゃないかと希望を持っている。
おし
でも、
焦らず、腐らず、諦めず。
ゆっくりゆっくり